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登校拒否的日子

我曾經是所謂「不登校兒」(拒絕上學的兒童),大概從國小一年級二學期到六年級一學期沒有上學。當時我爲什麽不願意上學?我講不出明確的理由。我被同學被霸凌嗎?好像沒有。

我在幼兒園的時候,生活很單純,每天只吃飯,玩,睡覺,醒來後再吃飯,玩。當時腦海中沒有什麽煩惱,只要每天盡量過得開心一點就好。但我一旦進國小,生活發生巨大變化。我突然被要求學習,並被以成績來評分,同學之間逐漸出現互相比較,競爭的氛圍。那種生活狀態不是我主動想要的。也許六歲的我來説,從幼兒園畢業到進國小之間的變化太快,太大,沒辦法適應全新的環境,承受不住國小生活所帶來的壓力。

大概小學一年級至三年級,我每周兩天去所謂的體制外學校,剩下三天待在家裏。待在家裏的時候我主要做什麽?好像主要在玩電動。中午我去附近的私立學童保育所吃飯,吃完飯回家再玩電動。

我記得國小三年級還是四年級的時候,有一位老師較認真地催我上學。某日她拜訪我家,站在門口跟我如下說。

我在學校常常遇到不太願意處理的事,但還是不得不處理。你也一樣,有些事就算你願意不做,還是得做。若你總是逃避做自己不愿意做的事,將來會變成沒有抗壓力的人。

我已經不記得自己如何回應。唯一確定的是我沒有聽從她的訓誡,而繼續留在家裏。老師,真歹勢,你説得完全沒有錯。


大概從國小四年紀左右起,自己的人格好像慢慢社會化,興趣也慢慢多元化。譬如我迷上踢足球,加入家裏附近的足球俱樂部,同時參加游泳班,英文班等等,而相對的,對玩電動的熱情漸漸減少。可見當時我爲了實現目標而鍛煉自己的心態較快速地發展。這種變化加大我重新上學的動力,而國小六年級二學期開始時,做了回到學校的決定。我不得不承認當時的我心底裏覺得不能上學的自己是不完整的人,若想要剋服自己的不完整性,非得回到學校不可。


我想很多人自然認爲以上所説的變化是正面的變化。不過坦白講,現在的我對此不太敢輕易做出價值判斷。隨著成長發芽的向上心」、「刻苦精神」等等確實幫我在生活和學業上取得進步,不過後來的人生中,它有時候反而變成一種枷鎖,給我帶來巨大壓力和焦慮,把我推進負面情緒裏。我越來越覺得留在家裏時的自己和回學校後的自己之間其實沒有很清晰的好壞之別。


假如將來有小孩,他某一日從國小回來,突然跟我宣佈從明天我不想去學校。的話,我會如何反應?我心裏面可能會叨擾說「啊果然是我的孩子,好麻煩,那你的午飯有誰來做?拜托你乖乖上學。但實際上只能說好的,若你不想上學,就不用勉强上學。那麽就像二十幾年前老師跟我説的那樣,將來他會不會成爲缺乏抗壓力的大人?我不知道該怎麽回答這個問題。其實我沒有什麽堅定的教育理念。我只想自己小時候無法做到的事情,不能要求自己的小孩去做而已我也許可以指著自己說好的,沒問題,但不上學的話,將來可能會變成像我這樣的人,能接受嗎?要是他一聽完我這麽説,恍然大悟,匆匆拿起書包而跑去學校的話,我心情會如何?



# by uskay21 | 2022-07-16 13:37 | 日記

Home Going

Home Going_a0257525_10381528.jpg

Homegoing/Yaa Gyasi

ガーナ系アメリカ人二世作家の長編デビュー作。18世紀ガーナに生まれた一組の姉妹。一人は奴隷として売られ。もう一人はイギリス人奴隷商人の妻となる。二人の対照的な運命を起点にして、世代と空間を跨ぎながら、260年間に及ぶ壮大な物語が展開していく。18世紀の奴隷貿易から20世紀の公民権運動まで盛沢山の内容だけれども、一篇一篇に重厚且つ複雑な味わいがあり、それでいて全てが繋がっている。


この小説からは奴隷貿易が盛んだったころのガーナ人たちのしたたかさも垣間見える。そうすると加害者と被害者の間の線が若干揺らぐのだけれど、同時にガーナ人の主体性のようなものが立ち現れてきて、彼らがよりかっこよく、魅力的に見えてくる。


私はどちらかといえばガーナ史、アメリカ黒人史に対する理解を深めたいという気持ちか読み始めたけれども、単純に人間ドラマとしてすごく面白いので、小難しいことを考えなくても、ページを開けばすぐ物語の中に没入できるはず。200年以上前のガーナが舞台の件では、焚火の前に座りながらおじいさんおばあさんが語る昔話に耳を傾けているかのような趣があり、翻って現在に近づいてくると、章によってはまるで少女漫画のような雰囲気を醸し出していたりもする。


個人的に一番好きな登場人物は現代部分で出てくる少女。お父さんお母さんがガーナ出身で、アメリカの中学校(たぶん)で学んでいる。学校図書館の全蔵書を読み尽くしそうな勢いの文学少女ということで、作者自身がモデルになっているように見える。 学校図書館でドイツ系移民の少年と出会い、二人は本を通じて親交を深めていく。付き合う前のどっちつかずな感じとか、如何ともしがたい壁の存在とか、この章に関しては、王道初恋物語に必要な要素を全部詰め込んだような内容で、読んでいてむずむずしてきた。そもそも文学好き同士が図書館で出会うという設定からして、作者の妄想というか願望が漏れ出てしまっているような。でもそこが好き。ジャンル的な間口が広い小説だと思う。


アフリカ黒人が歩んだ苦難の歴史を描いた小説ではあるけれども、読み終えた直後は安らぎに似た余韻が残る。どれだけ遠くに離れ、どれだけ時間が過ぎても、自分は何らかのかたちで故郷と繋がり続けている。小説としては大満足の終わり方だったけれど、現実に目を向ければ、ガーナにせよ、アメリカにせよ、騒がしくてごちゃごちゃした日常が続いている。今ガーナに住んでいる作家の作品も読んでみたくなった。


原書を読み始めてから気づいたのだが、「奇跡の大地」という題名で集英社から邦訳が出ている。ナイジェリア人作家、アディーチェの「アメリカーナ」などと比べると、あまり話題になっていないように思う。



# by uskay21 | 2021-09-23 10:47 | 本紹介

滿江紅

滿江紅_a0257525_18274967.jpg

我在公司裡翻閱一本東亞時事評論雜誌,讀到一篇前東方書店編輯部長所撰寫的文章。他在文中回顧自己作為中文書店員走過的歷程。1970 年代初他大學畢業,先在大型連鎖書店打工一段時間,再進東方書店。根據他所寫的內容,他在面試中對經理們宣布「若我被採用,我就趕快進行改革,一年內一定會給你們展現其成果。」我覺得他為提高東方書店的魅力而打拼的故事非常熱血,於是跟旁邊的前輩很興奮地說「你看你看,這是東方書店前總編,你跟他一起工作過對吧?他是一位什麼樣的人呢。他好像很厲害!」他看我一眼,什麼都沒有說,只發出哈哈哈哈的笑聲。哪一條乾澀笑聲到底意味著什麼呢?我猜不到。

前總編在文章中寫說,他剛進東方書店時(1970年代)國際勞動節當日,拿著旗幟赴中央會場,宣傳東方書店代售的三種在中國出版的日文雜誌(人民中國中國畫報北京週報),看來當時書店生意和政治運動之間的界限很模糊。

其實東方的誕生本身與政治運動密不可分。1950年代先有一家書店叫極東書店,其主要業務是中文書和俄文書的進口販賣。1966年在中國文革爆發後,中共和日共之間發生了爭執。這種政治環境的變化對極東書店內部也造成了巨大波動。書店裡的日共派員工試圖停止中文書的進口事業,中共派員工則強力反對,他們之間的對立發展到不可收拾的地步,最後中共派員工決定離開極東書店,便成立了東方書店。

那麼可不可以說東方書店是文革支持派打造的書店?我當然不能為這樣的過去感到驕傲,但也不敢嗤之以鼻地說太盲目太荒謬假如我自己活在那個年代,會有什麼樣的想法?如何看待新中國、中共、文革?會做出什麼樣的決定和行動?


# by uskay21 | 2021-02-20 20:25 | 本紹介

ジェームズ・ボールドウィンとニッキ・ジョヴァンニの対話

James Baldwin & Nikki Giovanni, a conversation [FULL]
https://youtu.be/eZmBy7C9gHQ

1971年に収録されたジェームズ・ボールドウィン(当時47歳)とニッキ・ジョヴァンニ(当時28歳)の対話。各々言いたいこと遠慮なく言っているけど、お互いに対する深い敬愛の念、同志としての親密さのようなものが滲み出ていて、観ていると何となく幸せな気分になってくる。

ジェームズ・ボールドウィン「生きていると、『こんなに苦しんでいるのは私しかいない』という思いに苛まれることもあるでしょう。しかし、人は何かを読み、聞くことによって、その苦しみは自分を孤立させるものではなく、自分と他者を繋ぐ架け橋であることに気づきます。あなた以前にも苦しんでいる人々はたくさんいた。今もあなたの周りでは多くの人々が苦しんでいる。私たちにできるのは、その苦しみに一筋の小さな光をもたらすことだけです。願わくばその光によって、苦しみの中にある人々が自身の苦しみを理解し、その苦しみと共に生き、そして自らの状況を変えられるようになってほしい。私たちは何も変えません。状況を変えるためのモラル・士気を人々に注ぎ込む。それが私たちにできる全てです。」

ジェームズ・ボールドウィン「19歳頃の私はある種の共産主義者でした。アメリカ共産党について多くのことを学びましたが、当時の黒人作家たちにとって、アメリカ共産党はある意味唯一の天国のような存在でした。そしてそれは悲惨な罠でもありました。」

ジェームズ・ボールドウィンが若いころ共産主義に傾倒していた事実は私にとって少し意外。戦前のアメリカ共産党について知りたくなった。

# by uskay21 | 2021-02-13 17:48 | 本紹介

The Fire Next Time

The Fire Next Time _a0257525_10131938.jpg

1963年に刊行されたジェームズ・ボールドウィンのエッセイ。数年前にドキュメンタリー映画《私はあなたの二グロではない》を観る際の予習として読んだが、基本的な英語読解力の欠如により、内容がほとんど頭に入らず。しかし昨年《パトリックと本を読む/白水社》を読む中で、著者のジェームズ・ボールドウィンに対する強い思い入れに触れ、「このままではアカン」と再読を決意。

出版されてから既に半世紀以上が経過しているけど、本書の内容が時代遅れになっているとは全く思えない。私はアメリカ人ではないし、黒人でも白人でもない。でも読んでいると、ジェームズ・ボールドウィンから「君の世界の見方や思考の枠組をもう一度問い直してみよう」と優しく言われているような気分になってくる。

《パトリックと本を読む》のパトリックのように朗読したい、メモしておきたい思う箇所はたくさんある。その中から1節だけ紹介する。ネーション・オブ・イスラムのリーダー、イライジャ・ムハンマドの家を訪ねるくだりで、ジェームズ・ボールドウィンはこんなことを書いている(次に続く)

People cannot live without this sense(自分には価値があるという感覚); they will do anything whatever to regain it. This is why the mostdangerous creation of any society is that man who has nothing to lose. You donot need ten such men-one will do.(p67)

今現在の状況について語った言葉としても全く違和感がない。ジェームズ・ボールドウィンには《No Papers of Muhammad》という未完の小説がある。フランスに住むアラブ系の人々を描いたものらしい。完成していれば、ぜひとも読みたかった。ちょっと残念。


# by uskay21 | 2021-01-31 10:28 | 本紹介


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